肯定する力

今日、ある人が「そういえば、うち、人の良いところ見つけるの得意かも」と言った。

その人は僕に対してよく見せようなんて気持ちを微塵も感じさせないし、普段の生活からそれを感じさせる。

肯定する力だ。

その人はみんなと同じように将来の不安を感じ、おぼつかない毎日を過ごしていると言った。ただ、僕と違うのが自然に人の良いところを探せるところだ。
僕は意識しないと良いところを探せないし、大体悪いところばっか見えてしまう。

その人みたいに良いところをニュートラルに見つけられる人は人に好かれる。僕はこんな人を見るとそうなりたいと願う。宮沢賢治のように。

後、最近マイブームなのが親鸞さんの教え「他力本願」だ。
これは芝居の稽古のときに先輩から学んだことだ。
一人で筋書きを追ってもコミュニケーションが生まれず物語が生まれない。
バンド演奏でも一緒だと思うが一人で勝手な演奏しててもグルーブを生まない。
ただ、受けることだけが他力を信じるということじゃないことも何となくわかる。信じれる相手に思い切りぶつかって行くことも必要だ。それに対して相手がうまく受けてくれなくともその勇気は必要だ。

別に俺は宗教家じゃないが、こんな文章を書いてるだけ宗教家になる素質はあると思う。死ぬほど勉強と経験がまだ必要だが。
周りの人によく何かを提案したりする人はみんな宗教家の素質がある。

宗教は俺が解釈するに「こんな考え方が良いんだよ。そしたら天国に行けるんだよ。」といい人間に秩序を与えたり、不安を解消し生きやすくするものだと思っている。

産業革命以降、神は死んだと言ったニーチェの気持ちも少しずつ自分なりの解釈でわかってきた。

「○○は豊富に▲▲が含まれていて□□に聞くんだよ。」




・多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
—「ツァラトゥストラかく語りき」—ニーチェ

話が錯綜して何が言いたいかわからなくなってきたが要するに生きてるうちにまだまだ克服したいことあるということだ。