眉間の違和感

時々、人の目を見るだけで眉間に違和感を感じ、その人の目を見るのが億劫になる事がある。

大抵そんな時は、コミュニケーションをうまく取ることができない。
目を見れない事の後ろめたさを言葉で埋めようとするからだ。



話は変わるが、今日ある人が「うち、一年に一回するかしないかよ。」と言った。
この人は一年にオナラを一回するかしないからしい。
まさかと思ったが、その人は嘘をつくような人ではないのでどうやら本当らしい。
この人が80歳にまで生きたとしても一生でするおならは多く見積もったとしても80回だ。
そうするとおならも人生の一大イベントになってくる。
結局何が言いたいかと言うと人の人生ってはかないなあと思う。
この出来事に感動するのも人生に1度か2度な訳だし、他の人からもらう感動も唯一のものだ。
その為に人ともっと関わっていきたい。




また、話は変わるが小津安二郎監督の映画で「おはよう」という映画がある。
挨拶の役割に関して考えさせられる映画だった。

http://ken-goeasy2.seesaa.net/article/3723113.html
どんな内容かはこのブログを見てください。

日常の挨拶に代表される意味のない言葉のやりとりが人間生活の潤滑油になっているという、子供たちの家庭教師役の佐田啓二の台詞がやはり印象深い。

この当時何気なくかわされていた挨拶が現代ではなかなかない。
そういった風潮が他人との人間関係を希薄にし思いやりが持てなくなる気がする。
例えば、気持ちよく挨拶したにもかかわらず、挨拶を返してもらえなければもう二度とその人に挨拶をしたくなくなる。そういった事がつづくと挨拶をしていた人間も挨拶をしなくなる。結果、利害関係のある人との挨拶しかしなくなる。
素直だった人の心はすさんでしまうし、不器用な人は生きづらい世の中になる。
挨拶という行為はコミュニケーションの信号を送っているという事だと思う。
人間は反応がない人間に対して色んな幻想を抱いてしまう。そこで挨拶は大きな役割を果たす。

内容の薄い文章だが小津監督の「お早う」はぜひ見ていただきたい映画の一つだ。