浜松町のフェリー乗り場にて

昨日の夜、友達の村ちゃんと仕事が早く終わったので海を見に行く事にした。
職場が浜松町で「近くに海がある」と彼に言われるまで知らなかったので嬉しかった。
東京タワー側の職場から駅を越えまっすぐ進むと船の帆のオブジェが見えたのできっと海があると行ってみるとそこはフェリー乗り場で、外の広場にはベンチがあり海やレインボウブリッジなど景色を見ながらくつろげるスペースがあった。

今回は村ちゃんの面白いトーク(前の日記参照)の録音に来たのだったが、夜の海を見ながら人生についてとか色々語ってしまった。しばらくすると村ちゃんがトイレに行きたいと言い出したので、フェリー乗り場の建物の中のトイレに行った。
広いトイレは使用者がいずきっとまだ出航の時間に近づいていないんだろうと思った。

トイレをでると一人のおじいさんが大声を出していて女性の職員さんが困っているように見えたのでもめているのかと思い近づいて「どうかしました?」と尋ねてみると、
もめている訳ではなくておじいさんの奥さんが行方不明になったらしい。
おじいさんは取り乱していたので「一緒に探しますよ」と言い、私と村ちゃんはおばあちゃんを探す事にした。
「おばあちゃんはどんな格好をしてますか?」とおじいちゃんに聴いておじいちゃんが話しだすと別の職員さんがあらわれた。
「どうされました?」と職員さんが声をかけてきたので、訳を話すと、「奥さんなあちらで出航の手続きをされてますよ」と言った。
何やらこの老夫婦は三宅島の住人で、二等席がいっぱいでそれだと6時間の航海は体に響くという事でおばあちゃんは一等席に換える手続きをしていたとの事。

無事また二人が一緒になることができたのでほっとした。

しかし、二人は出航の3時間前に来てしまったらしく、しばらく船を待つ事になった。

私と村ちゃんはフェリー乗り場内の椅子に座りおもしろトークの録音をしようと思ったが、さっきの老夫婦が気になって声をかけた。

「船、しばらくこないですね。」と声をかけると、「さっきはどうもありがとうございました。」とおじいさんが言った。
「ここの職員さんですか?」と革ジャンを着た私とシャツをはだけている村ちゃんにそう言ってきた。そんな分けねーじゃんと思った。

そこからこの老夫婦の話を色々聞いた。
戦争に行って歩腹前進しすぎて結核のなり、戦後飲んだ薬の後遺症で耳がほとんど聞こえなくなった話。
近くの池ではワカサギやエビがいてそれを昔は獲って食べていたが東京から誰かがブラックバスを放流してそれが獲れなくなった話。
昔じいさんが大鮫をつった話。
おばあちゃんが多摩川生まれで江戸っ子だと威張るんだという話。
昔、土産屋をしていて、貸し自転車をしていっぱいもうけたという話。

なんか色々した。

で、印象に残っているのは、おじいさんがおばあさんに「これはわりあい料理が上手なほうで、、」とか色んな事でおばあちゃんをほめていた。88になっても変わらない愛情が感じられた。

私たちが帰ろうとすると、おじいさんは島に来たら訪ねてくれと紙を取り出し住所を書き始めた。
するとおばあちゃんがそれは駄目と止めようとするがおじいちゃんは振り払う。
何事かと思うとおじいちゃんは病院の診断書に書いていた。
何度もおばあちゃんが止めようとするがおじいちゃんはペンを一向に止めようとしない。書き終わり診断書を破り始めたので、私は「おじいちゃんこれはしんだんしょみたいですよ。」といとやっ気付いた。私はおばあちゃんに差し出されたメモ紙に診断書に書かれた住所を書き写した。

最後におじいさんが「これはわりあい歌もうまいんですよ」と言っていたのでおばあさんに「三宅島の島節」を歌ってくれと頼んで歌ってもらった。


それでは聞いてください。おばあちゃんとおばあちゃんで「三宅島の島節」

これを聞いた後、私は自分たちの歌があるっていいなと思った。